■大紀元 --- 日本
http://jp.epochtimes.com/jp/2008/04/html/d10220.html
王さんを非難する中国人抗議者たち
「売国奴」呼ばわりされた中国人女子学生、事件の真相と決意を語る
【大紀元日本4月21日】米ノースカロライナ州デューク大学のキャンパス。距離を置いたまま、にらみ合う2つの集団が異様な雰囲気を漂わしていた。20歳の中国人女子大生、王千源さん(英語名グレース・ワン)は、昨夏にこの大学に入学したばかり。外国語を学ぶのが好きで、言葉は理解の橋渡しと考える王さんは、話し合えば理解し合うことができると信じ、チベット支持の米人学生と、愛国主義の激情にかられた中国人学生らの無言の対立の仲介をしようと、純粋な気持ちで臨んだ。
しかし、激情に理性を失った一部の中国人学生たちは、チベット支持の米人学生らをうそつき呼ばわりし、王さんには、英語ではなく中国語だけを使うように要求し、1989年天安門虐殺事件で、学生たちを率いた女子学生・柴玲を取り上げ、「柴玲を知っているだろう。中国人民は柴玲を火あぶりにしたいと思っている。お前はその柴玲のようだ」などと罵った。
その後、王さんはネットで個人情報を公表され、中国に住む両親は身を隠さなければならない状況に追い込まれた。
この事件は、ワシントン・ポストやニューヨーク・タイムズなどで取り上げられ、注目を浴びている。
仲介を買って出ただけで、「売国奴」呼ばわりされた王さんは、この事件の経緯を自分の言葉で説明するため、ワシントン・ポストに文章「わたしの中国、わたしのチベット―両者の板挟み、「売国奴」と呼ばれ」を投稿し、同紙は4月20日、ニュースサイトに公表した。
米国に留学し、人間理解を深めた若き女子学生の王さんは、母国・中国の人権を無視した強権政治を海外で体験し、「うそと暴力」で強権を振りかざす中国共産党政権の下で歪んだ愛国主義に理性を失う同胞たちに、言論の自由を行使して、
米国ノースカロライナ州のデューク大学(看中国)
一人敢然と立ち向う決意を表明した。
王千源さんが投稿した文章は次のとおり。
わたしは、イタリア語、フランス語、ドイツ語などの語学を勉強しています。今夏は、中国に帰省できそうにもないので、アラビア語を学びます。目標は、30歳になるまでに中国語と英語以外に10カ国語をマスターすることです。
言葉は、理解の橋渡しになると考えますので、語学を勉強しています。たとえば、中国とチベットですが、より多くの中国人がチベット語を学べば、そして、チベット人が中国についてもっと学べば、2つの民族は、互いに理解を深め、現在の危機を平和的に乗り越えることができるはずです。一週間ほど前にデューク大学で起きた事件もあって、より一層強くそのことを感じています。
中国人とチベット支持の抗議者らの調停を図ろうとしたわたしは、板挟みの状態になり中国人から攻撃を受けました。抗議活動が終わっても、脅迫はネット上で頻繁に見受けられました。さらに状況は悪化し、中国にいる両親も脅され、身を隠さなければならなくなりました。わたしは、故国では歓迎されない人間となったのです。
それは恐ろしい、不安な体験でした。しかし、たとえ脅迫や嫌がらせがあったとしても、わたしはこの事件の経緯を発表する決意をしました。黙っていれば、いつの日か、他の誰かに同じことが起きるでしょう。
昨年8月初めてデューク大学に来たころは、なじめませんでした。ノースカロライナ州ダーハムの小さな町に来たのです。わたしは人口430万人の都市・青島の出身です。しかし、もちろん、慣れてきて、楽しめるようになりました。世界中から来た多くの人々とともにさまざまな環境があるからです。クリスマス休暇中は、米人学生らはみな帰省しますが、中国から来た学生にはそのような経済的な余裕もありません。その期間中は、寮や食堂も閉鎖されるので、わたしは、クラスメートのチベット人4人とキャンパス外のところに住まいを借り、三週間以上も一緒に過ごしました。
わたしは、同じ国の同胞なのに、これまでチベット人と会ったことも話したこともありませんでした。毎日、一緒に料理や食事をしたり、チェスやカードゲームをしたりしました。もちろん、中国の全く反対側で育ったので、さまざまな体験について話し合いました。それはまさにわたしには目を見張るような驚きの体験でした。
以前から、チベットには興味があり、雪の国としてロマンチックなイメージを持っていましたが、チベットに行ったことがありませんでした。チベット人は、違った世界観も持っていることを知りました。わたしのクラスメートは、仏教徒で、信仰心もあつい人たちでした。そのことは、人生の意味について、わたしの人生観を見直すよいきっかけとなりました。わたしは、中国本土の人々が教育されたように、唯物論主義者でしたが、人生にはもっと重要な何か、精神的な側面もあるのだとわかったのです。
わたしたちは、その三週間たくさんのことを話しました。もちろん、中国語で話しました。チベット語は、中国では、学校では教えていないため、消滅の危機にさらされています。チベット人が極端な資本主義に走った中国の文化の中で成功するためには、北京語で教育を受けなければなりません。これを知って、わたしは悲しくなりました。また、チベット人が中国語を学んだように、わたしもチベット語を学びたいと思いました。
この体験を思い出せたのは、4月9日夕方でした。わたしは、カフェテリアを出て、勉強しようと思い図書館に向かいました。途中の中庭で、チベットの旗や中国の旗を手にして向かい合っている2つのグループを目にしました。何について抗議しているのか聞こえなかったので、好奇心からそばに行きました。両グループの人たちをわたしは知っていましたので、彼らの間を行ったり来たりして、考えを聞きました。ただ離れて立っているだけで、お互いに話し合うこともないのは、わたしにはとてもおかしく思えたのです。そこにいた中国人の多くは、理工系の学生で英語にはあまり自信がないので、
両者の間に入り、対話を進めようする王さん
言葉の壁があることもわかっていました。
両グループに一緒になって対話を始めさせ、より広い観点からみんなが考えることができるようにしようと思いました。それは、中国の老子や孫子、孔子の思想から学んだことでした。意見が合わなくても恐れることはなにもないと、父から教わっていたのです。しかし、不幸なことに、現在の中国人の観念には、批判的な考えや意見を異にすることは、問題であるとされますので、中国人はみな沈黙し、調和を保とうとします。
問題の発端は、抗議グループの知り合いの米国人協調者の背中に、わたしが「フリー・チベット(チベットを解放せよ)」と書いたことです。わたしは頼まれたからそうしたのであって、その協調者が中国人グループと話し合いをすると約束した後のことです。中国人がこうした様子を見て、どのように思うかなどは考えてもいませんでした。両グループのリーダーはこの時点では対話しようと
チベット支持のグループは数十人ほどだった(看中国)
しましたが、うまくいきませんでした。
中国人の抗議者たちは、わたしは中国人なのだから、自分たちの見方になるべきであると考えていました。チベット支持グループの参加者たちはほとんどが米国人でしたので、わたしの複雑な立場を十分理解できませんでした。実際のところ、両者とも全く心を閉ざしており、相手の立場を考慮することなどはしませんでした。わたしは、ののしり合いではなく、意見交換できるようになんとかしようと思いました。そこで、わたしは間に立って、両者に平和的に、互いを尊重するように促しました。わたしは、両者は共通点も多く、差異よりは、類似点のほうがずっと多いと思うのです。
しかし、中国人抗議者たちは、参加者も100人以上とずっと多く、ますます感情的になり、声を荒らげて、相手に話す余地を与えようとしませんでした。中国人抗議者たちは、十数人しかいないチベット支持グループを圧倒し、デューク大学のチャペルの入口前まで追い込み、「うそをつくな!うそをつくな!うそをつくな!」と叫びました。これにはわたしも驚きました。とても攻撃的だったのです。中国人であるなら、「君子動口、不動手(君子は手を動かさず口を動かす)=賢人は暴力に訴えない」
抗議の現場(看中国)
を知っているはずなのです。
わたしは怖くなりましたが、お互いに理解しあえるようにしなければならないと思ったので、両者の間を行き来しました。ほとんどは中国人に中国語で話しかけ、冷静になるように言い続けましたが、このことが彼らをさらに怒らせたようでした。中国人グループの若い男性たちが―中国語で「憤青(怒れる若者)」と言いますが―わたしに向かって大声でののしり始めたのです。
中国人グループの中には、わたしを支持してくれ、「彼女に話をさせろ」と言ってくれる人もたくさんいましたが、そのことはあまり注目されませんでした。理性を失った少数の大声にかき消されてしまったのです。
中国人の中には、わたしが英語を話していることを批判する人もいて、中国語だけを話せと言ったのです。しかし、米国人学生は中国語がわかりません。中国人の中には、英語を話さないことが中国人としての誇りを表明することであるかのように思う人がいますが、わたしにはおかしいことに思えます。言語は道具であり、思考や意思伝達の手段にしかすぎないのですから。
抗議の声が高まる中、中国人男性のグループがわたしを取り囲み、1989年天安門虐殺事件で、学生の民主化運動を率いた女子学生リーダー・柴玲さんのことを取り上げ、わたしを指さしながら、「柴玲を知っているだろう。中国人はみな、あいつのことを火あぶりにしたいと思っているんだ。お前は柴玲のようだ」と言いました。男性たちは、わたしは頭がおかしい、地獄に堕ちるなどと言いました。わたしの出身地や出身学校などを聞いてきました。わたしは教えてあげました。隠すことなどなにもなかったからです。しかし、その時、怒れる暴徒は今にもわたしを襲うのではないかと恐怖を感じました。結局、わたしは警察の護衛でその場を後にしました。
学生寮の自室に戻り、デューク大学中国学生学者聯誼会(DCSSA)のウェブサイトや掲示板にログオンし、中国人がどのように言っているのかを確認しました。DCSSAの役員であるQian Fanzhouは、「我々の立場をはっきりさせる事ができた」と満足そうに書き込んでいました。
わたしはそれに返答し、わたしはチベット独立を支持していないが、そう非難されている。わたしはチベットの自由を支持するが、それは中国人の自由を支持するのと同じだであるとしました。すべての人は自由であり、基本的な権利は保障されるべきです。中国の憲法にもそのように書かれています。このような書き込みで、実のある議論を期待していましたが、わたしはますます批判され、冷笑されるだけでした。
翌朝、ネット上で嵐が吹き荒れました。わたしの額に「売国奴」といたずら書きされた写真がネットで公開されたのです。さらに、驚くべきものを見ました。両親の市民ID番号が掲載されていたのです。わたしはショックを受けました。これらの情報は、中国警察でなければ得られないものだからです。
中国の実家の詳細な地図も掲載され、そこに行って、「恥知らずな犬」にしつけを教えに行こうという呼びかけも書かれていました。このときになってはじめて、わたしは、事態の深刻さがわかりました。わたしの命を狙うという脅迫電話がかかってきました。皮肉なことに、わたしが避けようと懸命になっていたことが、実際に起こっているのです。わたしは、攻撃の対象になったのです。
その翌朝、わたしは母と電話で話しました。両親も命を狙われているので、身を隠しているようでした。母は、わたしに電話をするなと言いました。その時から、ショートメールだけがわたしたち家族の唯一の通信手段となりました。先日、わたしは、わたしたちの実家のアパートの写真をネットで見ました。玄関にふん尿がまかれていたのです。また、、わたしが住んでいる部屋の窓ガラスが割られ、ドアには嫌らしいポスターが貼られていました。さらに、わかったことは、わたしが卒業した中国の高校で、わたしを非難する集会が開かれ、わたしの卒業が撤回され、愛国教育が強化されたというのです。
中国人がなぜそのように感情的になり、怒るのかも理解しています。チベットで起きたことは、悲劇です。しかし、わたしを迫害するのは認められません。中国人一人ひとりはこのことをわかっているはずです。お互いをたきつけ、暴徒のようにふるまう時、事態は非常に危機的なものになるのです。
今、デューク大学はわたしに警察の護衛をつけていますが、中国語のネット上では、わたしへの攻撃は続いています。しかし、わたしを誹謗中傷する人たちが目論んでいるように、わたしはひるんではいません。それどころか、この恥ずべき事件を公にすることで、わたしの両親を守り、中国人の振るまいを反省させようとしています。もう恐れてなどいません。わたしは言論の自由の権利を行使することに決めたのです。
言葉は理解の橋渡しなのですから。
grace.wang@duke.edu
(翻訳編集・藤川)