【大紀元日本3月3日】中国四川省康定県で2月27日午前1時50分、マグニチュード4・7の地震が発生した。当日午後13時20分までに地震の起きた地区では72回の余震を数えた。中国地震台網測定による。
地震発生後、康定県城、姑咱(さ)鎮等では強い揺れを感じ、郊外の民家いたる所で亀裂が入り、室内の物が落下、塀の倒壊、道路への土砂崩れや落石が発生。折多塔地区の一部でも村民の家屋に亀裂が入るという被害が出ている。また地震発生が深夜ということもあり、熟睡中であった一部住民は地震に驚きあわてて屋外に逃げだしたという。
また、地震の発生した地区の一部村民は野宿をし、眉山と成都などの都市の一部の住民も揺れを感じたとのこと。
康定県雅拉郷魚司村村民・王月蘭さんは、「私の半生の中でこれほど驚いたことはない」と話した。
地震発生当日の晩、犬がうるさく吠えていたため家族全員がよく眠れずにいた。午前1時50分ごろ、一家5人は強烈な揺れにより完全に目が覚めた。「左に強く引っ張られ、右にも強く引っ張られた」ベッドの端で眠っていた幼い息子が床に落とされ、わあわあと大声で泣き出したため、王さんはとっさに抱き起こそうとしたが強い揺れのため壁に向かって投げ出された。家中が崩れてしまうかのように、木材がギシギシと鳴き、土埃がザアザアと天井や壁から落ちてきて目も開けていられない状態だ。皆、床の上で抱合い泣き出した。1分後、揺れは収まり一家5人は家から逃げ出した。
「地震だ、早く逃げろ」休耕田にはすでにたくさんの人がいて、他の人も息を切らして走ってきた。一部の人たちは服を着る間もなかったという。電話もかからない、電気も止まっている。村民たちはなすすべもなく休耕田に立ち尽くしていた。
10分後、何の異常も起こらなかったので皆の緊張が解け、男達が薪を集め火を起こし、女達は一緒になって衣服を取りに家に戻った。間もなく、地面の下からまた巨大な唸り声が聞こえ、揺れが始まった。たき火は崩れ、子供達は怖がって大人の懐に飛び込んだ。少しして揺れは収まった。しかし30分後ほどして、また揺れ出したのだ。
調査によれば、康定県の地震は構造地震に属し、地殻の深部で岩盤が動いてずれ、裂けるために地震が発生する。この種の地震発生回数は最も多く、破壊力も大きい。四川省で発生する天然地震はほとんどすべてがこの構造地震に属している。
四川省西部は青藏高原と四川盆地の結合部で、地震多発区域に属している。70年代(73年)、甘孜(し)州炉霍では震度7・9の地震が発生しており、数万人の死者がでている。80年代から四川西部では地震帯はなりを潜めている。
1900年以来、四川地域では震度7レベル以上の地震は平均して11年周期で発生しており、長くて19年、最短で3年で起きている。1976年以来32年間このレベルの地震は起きておらず、この平均周期の間隔から大幅にずれている。専門家は同地域に7以上の地震が起こる可能性を警戒すべきだと警告している。
中国の地震の特徴は、いつも西南から始まり、最後に華北へ広まるというかたちだ。
以下は過去発生した大規模な地震である。
邢(けい)台地震―1966年3月8日、河北省邢台地区で震度6・8と7・2の地震が発生。極震区は隆尭県、寧晋県、新河県と巨鹿県内。被災区の人命と財産が大きな損害を受けた。
通海地震―1970年1月5日、雲南省通海、峨(が)山間で起きた震度7・7の地震。通海、建水、華寧、玉渓一帯が深刻な被害を受けた。
炉霍地震―1973年2月6日、四川省甘孜藏族自治州内の炉霍県で震度7・9の地震が発生。甘孜、道孚(ふ)、色達、新龍、壌塘等の県が被害を受けた。政府資料では、死者2175名、負傷者2756名、うち重症者1408名。当地は土地が広く人口密度が低かったにもかかわらずこれほどの死傷者がでたため、かなり破壊力のある地震であったとみられる。
昭通地震―1974年5月11日、雲南省昭通地区で震度7・1の地震が発生。雲南省永善、大関、塩津、綏(すい)江などの県と四川省雷波県が被害受けた。
海城地震―1975年2月4日、遼寧省海城、営口地区で震度7・3の地震が発生。この地震は人口が密集し、工業が発達した地区だったため、工鉱業、交通、電力や水利施設及び民家などに甚大な被害がでている。
龍陵地震―1976年5月29日、雲南省西部の龍陵県で震度7・3と7・4の地震が相次いで発生。龍陵、施甸(でん)と璐(ろ)西等の県が被災。
唐山地震―1976年7月28日午前、河北省唐山、豊南一帯で震度7・8という強い地震が発生。地震波は天津市や北京市にも及んだ。この地震は工鉱企業が集中し、人口が密集した都市で発生したため、深刻な災害となった。政府資料によれば、死者24万人以上、唐山工業都市はほぼ廃墟と化した。
(翻訳・坂本)
(08/03/03 16:23)
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