【大紀元日本11月10日】日本でもお馴染みの餃子(ギョーザ)は、中国人が好んで食べる伝統的な料理。中国式餃子の作り方は、まずみじん切りにした白菜などの野菜をひき肉とよく混ぜ、調味料で少し味付けし、餡を作る。小麦粉を薄く伸ばした皮で餡を包み、沸騰した湯でゆでる。ギョーザが膨らんで水面に浮き上がったら、出来上がり。餃子の餡を変えれば、いろいろな味が楽しめる。
餃子の由来に関しては、さまざまな言い伝えがある。そのひとつは、中国・後漢時代(約1800年前)の名医である張仲景により発明されたというものだ。
南陽の名医・張仲景は、幼少から医学書を勉強し、『傷寒雑病論』を編集してその時代の優れた漢方の知識を後世に残した。後漢の末、各地に災害が発生し、多くの人々が病気に見舞われていた時、張仲景は貧乏人にも金持ちにも同じように治療を施し、無数の命を救った。
張仲景は長沙太守という官職の在任中、ずっと庶民の病気を治療していた。ある年、疫病が流行っていた時、彼は役所の前に大きな鍋を設置し、予防と治療の薬を作って人々に提供していた。張仲景は長沙の人々に深く尊敬され、愛された。
退官後、張仲景は故郷に帰ることにした。故郷の近くの白河岸辺を通った時、貧乏で苦しんでいる庶民達が飢えに苦しみ、体が凍り付いて、耳が凍傷により破れている様子を目にした。張仲景は、なんとか彼らを助ける方法はないものかと考えをめぐらし、長沙でのやり方をまねて、弟子に小屋を作らせて、大きい鍋を設置した。そして「冬至」の日から、無償で貧しい人々に薬を提供し始めた。
薬の名前は「去寒嬌耳湯」と命名され、その意味は、「寒さを取り除いて耳を癒す薬の湯液」である。薬の中味は、唐辛子や生姜など体を温め寒さを追い払う漢方薬と一緒に煮込んだ羊の肉を、耳の形にした小麦粉の皮で包み、鍋で茹でたもの。張仲景はこの「包み物」二個と煮込みスープを合わせて、人々に提供した。人々はこれを食べた後、全身が温かくなり、血流が良くなり、耳の凍傷もあっという間に治ったという。
この薬は、農暦の「冬至」から正月までのほぼ2か月の間に提供されていたことから、正月と凍傷した耳の快復を祝う「嬌耳」の発音にちなんで「餃子」と呼ぶようになった。張仲景の善行を記念するために、人々は毎年正月に「餃子」を食べるようになり、この習慣は徐々に他の地方にも広まった。
(07/11/10 08:46)
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