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遺体が一般公開されているモスクワの救世主キリスト大聖堂=2007年4月24日(Photo by Dima Korotayev/Epsilon/Getty Images)

「ロシアの白熊」が国内政局に遺したもの

 【大紀元日本4月25日】ロシアの初代大統領で民主派と知られ、「ロシアの白熊」の異名をとったボリス・エリツィン氏(76)が23日、心不全のため亡くなった。遺体は、国葬として予定されている25日まで、モスクワの救世主キリスト大聖堂で一般公開されており、これには喪を弔うモスクワ市民など数百人が弔問している。内外の政治家たちも弔意を表わす予定だ。

 エリツィン氏の遺体は、黒いリムジンで教会まで搬送され、儀仗隊により栄誉礼で迎えられた。喪主の現ロシア大統領・プーチン氏は、「エリツィン政権の下で、(ロシアは)まったく新しい時代に入った…故人は腐敗した共産ロシアを建て直し、主権在民を実現した」と弔辞を読み上げ、議会での演説を急遽延期し、4月23日を国民の祝日とすると宣言した。

 葬儀が行われるモスクワ大聖堂は、1931年にスターリン政権下で破壊され、90年代後半になってエリツィン政権下で復興された。ロシアの聖職者協会が、国葬の司祭を務めるのは、1894年のアレキサンダー三世以来だという。弔問には、米国元大統領のビル・クリントン氏やジョージ・ブッシュSR.も参列する。

 エリツィン氏の遺体は、ノボテヴィチ修道院に埋葬される予定で、ここはロシアの有名人が数多く眠る場所だ。同氏の墓地は、皮肉にもかつての政敵であったゴルバチョフ氏の愛妻・故ライザ・ゴルバチョフ氏の隣になる模様だ。同修道院に埋葬されたロシアの指導者は、スターリンの後継であったフルシチョフ氏だけで、その他の共産党指導者たちは全てクレムリン「赤の広場」に眠っている。 

 エリツィン元大統領は1931年2月にスヴェルドロフスクで出生、ウラル工科大学を卒業し、同州の党第一書記を経て、1976年にソ連共産党中央委員会建設部長、1981年にはソ連共産党中央委員を歴任、ゴルバチョフ政権下では1985年にソ連共産党政治局員・中央委員会書記にまで就任するが、1987年から旧ブレジネフ派と対立、88年には政治局員候補から解任された。89年のモスクワ人民代議員選挙で政界に復帰し、民主の指導的役割を担った。90年に最高会議議長、同年7月13日には共産党を離党、91年に初代大統領に就任した。93年9月のハズブラートフ最高会議議長ら議会との対立では、反大統領派が立て篭もる最高会議ビルを戦車で砲撃し「鎮圧」、その豪腕振りを内外に見せつけた。

 エリツィン氏が主導した「国民的痛み」

 エリツィン氏が初代大統領に就任した際のスローガンは、「事業の自由化」「経済の改革」であった。旧ソビエト共産社会が崩壊した1991年の国内状況は、現在では想像さえ難しいものだ。食料、石鹸、タバコなどあらゆる生活物資そのものが不足し、国内の基幹産業自体が疲弊しきっていた。旧ソビエト政権の経済改革は、単なる事業者の引継ぎであったが、在庫管理や資金運用が転換し、それが外貨との変動やインフレと相俟って、事態がさらに混迷していた。

 エリツィン氏は92年、若い事業主から成る小委員会を組織し、新進気鋭のベンチャー企業家らに国の経済を立て直す「自主裁量権」を与えた。その第一歩が、ロシア国民の多数にとってトラウマになっていた「価格統制」「市場統制」を放棄することであった。この政策は、インフレを加速し、「持てる者」と「持たざる者」との格差を拡大したが、それはエリツィン氏が国有財産を民間に払い下げ始めた際には決定的なものとなった。

 これらの「国民的な痛み」は、後のロシア経済再興の礎となり、国民待望の「経済の自由」が実現したが、エリツィン氏は国内の政治勢力から十字砲火を受ける。まず国内左派からは「経済改革は必要ないし、違法だ」と糾弾され、右派からは「改革のペースが遅く脆弱だ」と批判された。

 銀行財閥たちの台頭

 ロシアの経済人は、全く新しい経済的概念を早急に学習する必要があった。「市場」「広告」「貨幣レート」「バーター」「リース」等等、果ては「利益」までもが真新しいものばかりだった。そのような改革の社会的な変化に適応できなかった人たち、特に国営企業に雇われていた人たち、教師、医師、教授、警官などは「新しいロシア」を嫌い、新しく開業したレストラン、ナイトクラブ、カジノには馴染めなかった。

 社会的格差が開くにつれ、共産主義者がまた息を吹き返しつつあった。95年の選挙では共産党が善戦し、エリツィン氏もまた国内政局で危うくなりかけた。エリツィン氏は、国内の政権基盤を安定化させ、資本主義改革を進めるために、最も保守的な手段を採った。エリツィン氏は圧力に負け、銀行財閥たちから多額の借り入れをしたのだ。

 その結果、これら多額の貸付を行ったロシアの銀行財閥たちは、引き換えに石油や金属などを接収し、ロシアの「金の成る木」を手にし、国家の事実上の「陰の支配者」になってしまった。

 エリツィン氏への評価

 ロシア経済は97年、ついに底を打って成長に転じ始めた。しかし、好日は長続きしなかった。石油価格が暴落し、国家の借り入れは逆に膨張し、「アジア通貨危機」により98年には、ロシアの国内経済までもがその影響を受けた。しかしそのような逆風の中にあっても、エリツィン氏は時として政局で豪腕を振るいながら、自らが始めた経済改革をやめようとせず、「ソビエト式経済」に逆戻りすることを極端に嫌った。エリツィン氏の信念は、「自由市場の原理」に基づいており、私有財産を保護し、インフレを懸念し、「強いルーブル貨幣」を提唱するものだ。

 今日のロシアでは、国有財産の払い下げによって、毎年のように数百億ドルが政府に転がり込むが、その権力自体は弱まっていない。エリツィン氏の後継であるプーチン政権下では、ロシアの中央当局が、国内の銀行財閥からその実権を取り戻しつつある。ロシアの実業界が、政局を有利に動かしたり、法案を有利に制定させたりする影響力は速やかに無くなりつつある。

 ロシアの国内経済は、インフレ率が低く、成長率が堅調であるものの、貧富の差がじりじりと広がっている。エリツィン氏についての世論調査では、国民の約半数が、「ソビエト時代の腐敗を引きずっている。やり方が強引すぎる」と批判的なのに対して、半数は「ロシア経済再興の礎を築いた」と肯定的であった。最大の負の政治的遺産であり、未だ係争中の「チェチェン紛争」を含め、その歴史的評価は学者とロシアの民衆が後世になって決めることだろう。

(07/04/25 14:10)



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